1948年10月19日には、掃討戦に差し向けられた麗水駐屯の韓国軍が、済州島への出動を拒否し、麗水一帯を支配下に置いて反乱を起こす事件が発生した。
この反乱に民間の左翼や学生が合流して近隣各地に広がり、反乱軍の占領地域では警察や右派に対する人民裁判が行われ、多くの人々が粛正された。
麗水だけでも1200人が殺害されたという

反乱は陸海軍の作戦や特殊警察による摘発によって2ヶ月ほどで収束したが、済州島の影響が他の地域に及び、しかも国軍が反乱するという新政権の正当性を否定しかねない事態が発生したことを重く見た韓国政府は、済州島に対して過酷な焦土化作戦を展開した。

敵性地域の村は焼かれ、子供から老人、妊婦に至るまで皆殺しにされた。
当然ながら、そのなかには武装勢力と関係の無い島民も含まれていた。
こうした見境のない攻撃作戦により、1949年6月頃には済州島での武装蜂起はほぼ鎮圧されたが、作戦がようやく完了したのは1954年だった。

後の調査では、この済州島4.3事件による犠牲者は25000人〜30000人と推定されているが、当時の済州島の人口は28万人だったから、約1割が殺害されたことになる。

このように韓国では、建国後も右と左が相変わらず凄惨な殺し合いを続けていたのである。

【朝鮮半島はなぜいつも地獄が繰り返されるのか 石平】 
第5章 自立できない韓国と暴走する北朝鮮の宿命 より




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